すきだから
貪って、貪って貪って。
脳内まで満たす匂いと味に昂ぶって、時間も忘れて夢中になる。
次第にそれは姿を朧気にさせていき、最後には……気付いた時には遅く、姿を、消してしまう。
溶けて、無くなる。
それはまるで────
アメと無知
切り刻んで。
掻き毟って。
苦しそうな声を引き出して。
手にこびり付く生温かい液体。頬に飛び散る飛沫の感触。
むせかえる、血のニオイ。
ドロドロと。
まるで溶けるように、徐々に、徐々に。
そして最後には……
「消えるのか……?」
「……あ?」
「消えるのか? ユーリ……オマエはこのまま消えるのか?」
「さあねぇ……。これ以上傷増やされたら、わっかんねーかもな」
想像が巡る。
殺したかった。そのために振るっていた武器が、ピタリと止まった。
殺すことは勝利だ。満足だ。優越感だ。この滑るユーリの血が、それらに現実味を与える。だがその後の実感がなかった。
「殺したら、どうなる?」
「んなの、ガキからやり直して学んで来いっつーんだよ……」
上に跨って、右の肩口に食い込ませた刃を握ったまま。肩で息するユーリに合わせて僅かに刃が傷を広げる感覚。
「俺はオマエを殺したい、殺すんだよユーリ!」
「ああ……お陰で今にも死にそうだ」
「なのに何だこの……っ」
勢い任せで刃を抜き去れば、再び嗚咽が洩れた。
「オマエが無くなったら、」
抜き去った刃を見つめ、滴り落ちる血に初めて恐怖を感じた。
「オマエが無くなったら、オレはどうしたらいい?!」
「……はぁ?」
笑う余裕があまりないのか、引きつって掠れた顔と声。出来たばかりの傷口に触れれば、温かい血液とそれを押し出す脈動。そして堪えたような呻き。
グッと力を込めれば、ぬちっと気色の悪い音が鳴り、溢れる血液の下、血に覆われ境が見えない肉を抉る。
「この体温は、冷めるのか」
温かくて気持ちがいい。触れた先から伝わる鼓動と温もり。
「殺したら、全部無くなるんだろう……?」
口にした瞬間に無意識に震えた。理由は解らない。解らないが、それはとても不快だった。恐怖だった。
嫌だった。
「お前……泣いてんの?」
「?!」
血塗れた手で顔に触れると、何かで濡れていた。
驚いてユーリの上から飛び退いて、ひたすらに顔を拭った。まだ固まっていない血と涙が混じり合う。
「っ……! ウ、ぁ……」
初めての感覚に戸惑う。どうしたら止まるのかわからない涙に恐怖すら覚えた。
「っつー……流石に、クラクラするな」
自分が退いたことで自由を取り戻したユーリが、ふらつきながら起き上がる。血みどろの腕ではなく、頭を抑えながら。
「ザギ」
呼ばれて体が跳ねる。
さほどない距離を、覚束ない足取りで埋めて、眉をしかめた苦しそうなユーリが、目の前にしゃがむ。
「……ここにいんだろうが」
一言発するにも膨大な体力を消費するような、呼気にまみれた言葉が体に響く。
伸ばされた手に後頭部を掴まれ、どこにそんな力が残っているのか。強く引かれてユーリの胸元に顔が埋もれる。
「ったく……お前はどんだけ、不器用なんだよ……」
「ユー……リ」
ユーリの体温が心地良くて、貪るようにしがみつく。
「ユーリ、ユーリ、ユーリ」
「……はいよ」
「ユーリ、ユーリ……」
引き寄せられた後頭部をくしゃくしゃと撫でられる。顔を上げたら、間近に見える肌は青白くて、名前を呼ぼうと開きかけた口を、塞がれた。
「……」
短いけれど、たったそれだけで、全てが満たされたような。
「っ……」
戦闘とは違う体の昂ぶりを感じて、熱が上昇していく。頬が、熱い気がする。
そして本能が、告げた。
「世話、やけるよ……」
「ユーリ……。……すき、だ」
「ああ。……知ってる」
喉を鳴らして笑い、もう一度口を塞がれる。
だがその時間は呆気なく終わりを告げ、ずるりと下に沈むユーリの頭部。回された手も、力無く落ちて。
「……ユーリ?」
思わず体を支える。思えば、先刻より大分体温が下がっている。
「ユーリ……まさかオマエ……!」
「……わり、も……限界」
「っ?!な、に言ってやがる!」
慌てる。落ち着いた筈の思考が混乱する。再び涙が溢れ出る。
「ンなの、許さねえ、許さね……」
「エス、テルに……」
取り乱す自分に向けてか細く吐き出したユーリの最後の声は、記憶に残る名前で。
その声が脳に届いた頃には無我夢中でユーリを抱えて……────
「ったく、マジで死ぬかと思っただろ」
「死なせねえ、死なせねえよ……」
「その原因のお前が言うのかよ……まぁ、いいか」
あれから運良く、先日ユーリがいた場所に滞在を続けていた仲間とやらに会えて。
俺を……正確には俺が抱えていたユーリを見て血の気の引いた顔をして一瞬固まっていたが、まだ息があることがわかると早急に治療を始めた。
お陰で一命を取り留めたユーリが、こうして今ここにいる。
「ユーリ……オマエは殺さない」
「……はいはい。んっとに世話が妬けるよ」
しゃがむユーリにしがみついて、体温と脈動と、血のニオイではないユーリのニオイを感じて、再認識する。
「好きだユーリ、オマエが好きだ」
「わかったわかった」
苦笑気味に、しかし適当な返事に反して頭を撫でる手付きは優しい。
「オマエは……オマエはどうだユーリ」
「げ。俺にも求めんのかよ」
「当然だ。逃がさねえぞユーリぃ」
しがみつく手に力がこもる。
柄にもなく返事を聞くのが不安な現れなのかもしれない。
「お前の想像に任せるよ」
「はぐらかすんじゃね……っ」
流させはしないと、答えを聞き出そうと喋り出した口を、塞がれた。
「ん……」
舌が歯列をなぞり、口内を蹂躙される濃厚な口付け。鼓動が高鳴り、離れていくのが惜しくて自然と舌が追ってしまう。
「……そーゆーことで」
「っ……!」
ニヤっと笑うユーリに何も返せず、赤面しながら口をパクパクさせる。
そんな俺の口を再び塞いで。
嬉しさと悔しさで、自分からも舌を絡めて。拙いその動きは、まるで飴を舐めるかのよう。
「……もっとだ、ユーリ」
その甘さに酔いしれ、体は、もっともっとと求めてしまう。
誘惑に、負けてしまう……。
それが、まんまとはぐらかされたのだと気付いたのは、興奮が冷めた暫く後のことだった……────
貪って、
時間も忘れて夢中になっても。
この飴は、そう簡単には、溶かせない。
2011.10.28