青春─アオハル─

※学パロ設定です。






「なぁ、俺、あんたのことが……好き、なんだけど」

 暖かくなり始めの、式を終えた最後の放課後。

 夕焼け空に薄紅色の花弁が舞い、視界のあちらこちらに映り込む。肩に、鞄に。ふわりと降り積もるそれは、紺を基調とした制服を染めるだけでは飽き足らず、目の前で背を向けて立っている白衣の男──レイヴンの結った髪をも、淡く飾りつけていく。

 俺は数メートル先にある背中目掛けて、一世一代の告白をした。決して軽い気持ちじゃない、真剣な告白だったはずだ。それなのに言葉にすると随分と軽くて、狙ったように吹いた風が、簡単に掻き消してしまう。

「ん? なんか言った?」

「…………いや、なんでもねぇ」

 同じ言葉を、もう一度口に出す勇気はなかった。ただでさえ、拒否されたら、引かれたら、露骨に顔を歪ませられたら……考えるだけで昨晩は眠れなかったのだ。

「おまえさんも遂に卒業か」

 腕を上で組んで背を伸ばす。先程の風は嘘みたいに凪いでいて、レイヴンが空へと投げる気怠げな声が空気を揺らした。

「ほんと、手のかかる生徒だったねぇ」

 思い出に浸り、懐かしむように、はぁ〜と息を吐いて柵に肘をかけ頬杖をつく。

「悪かったな」

 ここには今、俺と、先生。二人しかいない。

 同級生との別れはとうに済ませた。そんなこと今じゃなくたって出来たはずなのに。やれ写真だ、やれ連絡先の交換だと、最後まで慌ただしかった。

 卒業する。その事が節目となり何かを踏み出す為のきっかけにもなるらしい。後輩の中には──ブレザーだというのに──勝手に第二ボタンの奪い合いをする者もいたが、それは誰にも渡さずに、今も俺の二番目の位置にしっかりと留まっている。制服の前は開けているので、ボタンとしての役割は果たしていないが。

 俺はズボンのポケットに手を入れると、中で丸くなった物を掴み手を引いて、ぐるりと巻かれたネクタイを取り出した。

「レイヴン……これ、受け取ってくんねえか」

 だらりと重力のままに、握り拳の左右から垂れ下がる深紅のネクタイを突き出す。レイヴンはやっとこちらを振り返るも、すぐさま空へと視線を戻してしまう。

「先生って呼べって言ってんでしょうが」

 溜息を空気に溶かし、レイヴンはやはりこちらを見ずに話し出す。

「そもそも心臓の近くにあるから意味があんじゃないのか、それって。おまえさん、いつもつけてないだろ」

 ご最もな指摘をされて、眉がぴくりと跳ねる。だが重要なのはそこではないのだ。

「あんたが受け取ってくれることに意味が」

「そんな大事なもん、受け取れんよ」

 被せるようにして返される拒否の言葉。ギリ、と奥歯を食い縛り、それでも俺は続ける。

「大事なもんだから、あんたに受け取って欲しいんだろ」

「意味、わかって言ってんの?」

「ああ、わかってるから言ってる」

 ────あんたの、一番大切な人になりたい。

 今日をもって学生という身分から解放される俺の、目の前の男へと向ける欲求。数有る生徒の一人ではなく、特別な存在になりたいという願望。

「…………はぁ。おまえさんみたいな未来ある若者がなんだってこんな……」

 わざとらしく大袈裟に項垂れるレイヴンは、相も変わらず後ろ姿しか見えないので、どんな表情をしているのかは分からない。しかし覗く耳の裏側が、仄かに赤みを帯びているような気がして、心臓が高鳴る。期待してしまう。この色は、夕陽のせいではないはずだ、と。

 左足を前に出す。無防備に晒された、レイヴンの背中に向けて一歩、また一歩と前に進む。左、右と交互に足を踏み出して、少しずつ近付いて行く。

 届く。あと二歩。

 触れる。あと一歩。

「レイヴン」

 背を向けたままの男の背中を包むようにして、前に手を回す。

「先生って呼びなさいよって……」

 俺よりも背の低いレイヴンの首筋に、顔を埋めるようにして抱き締める。桜の香りと、レイヴンの首元から煙草の匂いに混じって微かに香る、果物のような甘い香水が、心地よく嗅覚を刺激する。回した腕に、ドッ、ドッ、と脈打つ振動が伝わってくる。

「もう、センセじゃねぇだろ」

「……ここに居る間は、俺は先生でおまえは生徒だろ」

 ────恋をして、季節が一巡りした。担任になって、気付いたら敬愛する教師から、一人の男への恋慕へと。問題事に毎度頭を突っ込む度に悪名だけが広まっていった俺の、奥底に唯一触れようとしてくれた……触れてくれた男。

 最初に好意を示した時は笑われた。それはもう、盛大に。

「ぷふっ……冗談でしょ、おまえさんが? そりゃあまた随分な……アハハ」

 それからはヤケになってレイヴンに近付いた。何とかして、意識して欲しかった。

 喧嘩の仲裁として殴り合いに飛び込み、痣だらけになったこともある。

 レイヴンの担当科目を必死に学んで、テストの点で驚かせたこともある。

 わざと雨に濡れ、一人暮らしのアパートの一室に招き入れてもらったことも、服が乾いたら帰りなさいよ、というレイヴンの言葉を無視して泊まり込んだことも…………。

 そんな日々を何度も繰り返せば、夏を過ぎた頃には、触れることを許されるまでに至った。それでも感じる、俺を拒む壁。告白しようとすれば、いつだってはぐらかされた。

 先生と生徒という枠から抜け出せば、その壁の幾らかはとっぱらえるんじゃないかと、毎日、毎日、この日を待ち望んだ。そして遂に、俺は今日卒業したのだ。

 やはり夕陽のせいではなく、俺を意識して赤く染まった耳朶に軽く口付ける。

「っ……ローウェル!」

 甘い息が鼻を抜ける。間髪入れずに押し退けるようにして、手のひらで顎を押された。

「場所、弁えろって! 式終えたからってハメ外しすぎよ」

 触れて、抱き締めるところまでは許してるくせに。と声に出さず心の中で一刺しする。

「なら、会いに行ってもいいか? あんたの家まで」

「あー……聞こえねぇ聞こえねぇ」

「会いに行くっつってんだよ」

「おいおい、疑問形ですらなくなってんじゃねぇのよ」

 唇を覆うレイヴンの少しカサつく指先に、音を立てて口付ける。びくりと跳ねて顔から手が離れた。

「っ、ダメだっつって……」

「センセ」

「!!」

 俺はレイヴンをそう呼ぶと、握っていたネクタイをレイヴンの首に掛け、しゅるりと通していく。

「今まで、お世話になりました」

 教師の立場にありながらだらしなく着崩した襟元に合わせて、緩めに結んで最後にキュっと締めた。

「……まったく……大人を揶揄うんじゃないよ……」

 レイヴンは両手で顔を隠して、その場にズルズルと沈んでいく。

「ちゃんと生徒らしくしてやったろ」

「はぁ〜……はいはい、よく出来ました」

 溜息を吐き出して、沈んだ身をサンダルから踵を上げて立ち上がらせると、振り返って、俺の頭をぽんぽんと優しく叩いた。

 漸く見ることの出来たレイヴンの顔は、少し困ったような、でも、どこか嬉しそうな表情を浮かべて。にやけるように緩む口元から、春の陽射しみたいに柔らかい声が俺に向けられる。

「卒業おめでと。……ユーリ」

「ありがとな。セーンセ」

「ぐ……やっぱ……慣れないな。おまえさんがそう呼ぶの……」

「ここにいる間はセンセーなんだろ?」

 凪いでいた風がひと吹きして、辺りを桜色に染める。レイヴンの黒いシャツの真ん中には、俺が結んだ深紅が揺れている。

「明日から覚悟しとけよ? ぜってーあんたのこと落としてやっから」

 はにかむようにして目を細めて告げた言葉に。

「……期待しないで、待っててやんよ」

 そう返して、夕陽をバックにくしゃりと破顔させたレイヴンの顔が、俺の脳裏にしっかりと焼き付いた。


 俺の青い春は、ここからが本番だ。





2022.8.10

誕生日祝い&リクエスト「現パロ」