嘘はデザートのように甘く

 そわそわしている。

 朝。レイヴンはお決まりの「おはよう」にすら顔を赤らめて、笑う口元にもなんだかぎこちなさが見て取れた。昨日何かあったっけか? と思考を巡らせるも、ユーリに思い当たる事は何ひとつとしてなく。さてはエロい夢でも見たかな、と結論付けてみた。


 そわそわしている。

 昼になってもレイヴンのそれは変わらず。昼食を口に運ぶ向かいで、視線を皿に並ぶ料理とユーリとを行き来させて、時折小さく口を開けて思い出したように食事をする。その姿はまるで小動物だ。


「調子でも悪いのか?」

 下町育ち丸出しの豪快な食べ方で、皿を次々と空にしていきながら、ユーリはレイヴンに問いかけた。

「ど、どうかな……」

「どうかなって」

 あらかた食べ終わり、あともう少しというところでレイヴンの歯切れの悪い返事にユーリの手が止まる。

「朝から何だか落ち着かないみたいだけど……どっか痛むのか?」

 まさか魔導器の調子が悪いんじゃないかと思い、立ち上がり向かいに座るレイヴンの方へと足を運んだ。

 顔を赤く染め俯きがちなレイヴンの心臓に、服越しに触れる。トクン、トクン、と。そこには何事も無いように、自分の脈と変わらない正常な鼓動が刻まれていた。とりあえずは一番心配だった部分に問題がないことが分かり、ユーリは胸を撫で下ろした。とすれば、一体なんだと言うんだ。

「なぁ、レイヴン」

 何かあるなら言ってくれ、と言おうとしたところで、心臓に触れた手を両の手で掴まれ、目を見開いた。レイヴンは意を決したように頭を上げて、俺の方を向く。目線は斜め下に泳いでいるが。

「おっさん……できちゃったみたい」

「できたって何がだよ」

「それはその……」

 言い出したもののやはり歯切れの悪い言葉に、さっさと言っちまった方が楽なのに、何に躊躇ってんだと気が急く。すると掴まれた手が、下へと導かれた。レイヴンの手によって胸から腹を撫でるように運ばれたユーリの手が、下腹部で止まる。急にそういう気分になったのかと思い、そのまた更に下まで運ばれるんじゃないかなどと、やましい事を考えた自分の単純さに呆れた。

「ユーリの……」

「俺、の……?」

 意味ありげに腹に当てられた手。何だか様子のおかしいレイヴン。

「うん……ユーリ、の……」

「……」

 神妙な空気に息を飲む。できた、って。まさかとは思うが。そういう……?

「ちょ、っと待て、それ、マジ、で?」

(いや、俺との間に、何が出来るってんだ。おっさんは紛れもなく男なんだぞ)

 動揺が隠せないユーリの頬を一筋の汗が伝う。

 温かい腹に触れながら、走馬灯が如く、レイヴンを抱いた夜の記憶がユーリの頭を駆け巡る。


 甘い言葉で優しく抱いた夜。レイヴンがリードすると見せかけて、結局ユーリが主導権を奪った夜。

『孕んじまえばいいのに』

 そんな事を言いながら、めちゃくちゃに抱いた夜……。


「お、れの……」

 我ながら何つー事言ってんだよと今更我に返る。喉がカラカラになって、言葉が引っ掛かった。

「ユーリの……」

 レイヴンが俺の手をぎゅっと掴む。吐き出される言葉を聞き逃さないようにと全神経が耳に集中した。

「待てレイヴ」

「パフェ」

「は」

 心の準備が出来ずに遮るように名前を呼ぼうとして────それでも耳に届いてしまった言葉が、まるで聞いたことの無い呪文のようにユーリの脳内を反芻した。

「ぱ、ふぇ」

「そ、パフェ、出来ちゃった」

 呆然としているユーリをよそに、レイヴンの方はさっきまでのしおらしさが嘘のように嬉しそうに笑っている。

「意味が、わからねえ」

「ユーリの喜びそうなやつが出来ちゃったのよ」

 昨日いい食材が手に入ったから急に作りたくなってね〜、と続く言葉が頭を経由せずに逆の耳から抜けていく。……そうだ、思い出した。それは甘味の名前だ。目の前の男は、なぜか急に、パフェの話を始めたのだ。頭が混乱した。

 染めた頬の赤みはそのままに。レイヴンは悪戯が成功した子供のように無邪気な表情を浮かべながら、一通り話し終えても未だ硬直したまま反応がないユーリに「あらやだ」と呟いた。掴んでいた手が離れ、その手で頭をぽんぽんと撫でられる。

「えっとー……ごめんね? 今日、そういうお祭りだっていうから、ちょっと悪ノリしちゃった」

 聞いたことがある。エイプリルフールという、嘘を付くことが許された日。それが……今日だったというわけか。

「でもさすがに無理があったわな、俺男だし」

「はぁぁぁぁー……」

「え、もしかして本気にしちゃった……?」

「…………これからどうすっか考えてたわ」

 ユーリは大きく溜息を吐いてしゃがみこむ。そんな無理のある事を真に受けてしまった自分が恥ずかしくて、口を覆いながらそっぽを向いた。

「……そりゃまた、なんつーか……」

 冗談のつもりが、ユーリが思いの外本気になってしまい、レイヴンも気恥ずかしくなってかける言葉を失う。


 そのまま二人、暫し無言が続いて……。


「……」

「……」

「……」

「……ぷっ」

「……はいおっさんの負けな」

「えっ、これ、そういうっ……ははっ、じゃあ見事勝利したユーリくんには、おっさん特製のパフェを贈呈しちゃいまーす」

「ちょっぱやで頼むぜ」

「あとアイス乗せるだけだからすぐよすぐ」

 静かな空気から一変、二人の笑い声が室内に響く。

 ユーリは、軽い足取りで台所へと向かう、レイヴンの愛らしい後ろ姿を目で追う。言葉通りにすぐにテーブルに運ばれてきたパフェに、目を輝かせながら再び席に着いた。

「いただきます」

「はいどうぞ」

 レイヴンも向かいに座り直す。ユーリがパフェをつつくのを見ながら、食べかけだった自分の食事を再開した。掬ったスプーンを口に運ぶ度に、俺が眉を跳ね上げるのが余程嬉しいのか、顔を綻ばせている。

「レイヴン」

「ん?」

 デザートの登場で有耶無耶になってしまったが、ひとつだけレイヴンに伝えておかないと、と思い出して名を呼ぶ。

「まぁ、その、なんだ」

 言い出したはいいが、頬を掻きながら、今度はユーリが歯切れ悪く話す。もちろん、パフェを食べる手は止めない。

「もしそういう事があっても、だな」

 スプーンに乗せた生クリームを頬張る。

「俺、あんたのなら構わないから」

「っ?! ゴホッ、ゴホッ、ちょ」

 驚きに思わず噎せるレイヴンをよそに、ユーリは夢中でパフェを食べ進めていく。

「お前さん何言ってるか自分で……」

「あと、すっげー美味かった。やっぱレイヴンの作るデザートは世界一だな。ごちそうさん」

 カラン、と空の容器に軽快にスプーンの音が鳴る。食べ終えた自分の皿を纏めて台所へと運んでいくユーリを背に、レイヴンは両手で顔を覆い、先のユーリと同じように大きく息を吐いた。

「はぁぁぁぁ〜……」

 それを横目で見ながら、さっきの仕返しとばかりに舌を出す。

「それ! 嘘ですってのはなしだからね!」

 照れ隠しにご飯をかき込むレイヴンに、台所から声だけ投げかける。

「嘘じゃねえよ、あんたのパフェは世界一だよ」

「も〜〜そっちじゃないわよ!」

「はっはっ、どうだかな、なんせエイプリルフールだもんなあ」

(嘘かどうかなんて、言わなくたってわかってんだろ?)

 それでもデザートのお礼も兼ねて、後で俺がどれだけレイヴンを愛しているか、思い知らせてやらないとな。ユーリは腹も心も満たされているのを感じながら、この後の事を考えて楽しそうに笑みを浮かべた。






2022.3.14

「はじまりを告げる」収録作