突然だが、明日はちょっとした記念日があったりする。記念日というかなんと言うか、めでたいかどうかはわからないが、一応、年に一度の特別な日で。
別に誰かに言い触れるもんでもないし、知ってんのはフレンやハンクス爺さんや……まあ下町の連中だけ。何をするわけでもない。確かにガキの頃は、漠然と大人に近付く感覚に心躍らせてみたりもしたが。
「明日で22、か……」
ベッドで寝返りを打ち、ユーリは小声で呟いた。宿の同室の相棒は、聞こえているのかいないのか、床に丸くなって眠っているようだった。
この一年、慌ただしかったな。水道魔導器が盗られてからといい、エステルと出会い下町を旅立って、カロルにリタにジュディにパティ……そんでもって。
「レイヴンのおっさんに出会って」
カロルと共に隣室に泊まるレイヴンに思いを馳せる。
こんな風に思い出に浸るなんて、年を取った証拠だろうか。だがそのくせ、遠足前の子供のようにソワソワして寝付けない自分に失笑する。14離れたおっさんの言葉を借りるとするならば、まだ若いのに、だな。
目を閉じると、瞼の裏には鮮明にレイヴンの後ろ姿が映った。
「おっさんにくらい……」
祝ってもらいてえな。それこそ子供のような願いは声にならず、脳裏で消える。
俺、誕生日なんだけど。なんて台詞、格好つかなくて。
「今更言えるわけねえよな……」
カチカチと、壁時計が刻む秒針が天辺に届く。月明かりが照らす長針と短針が、真上を指し示しているのがぼんやり開けた瞳に映った。
「22歳おめでとう、俺…………」
「ワフ…………」
ラピードが相槌を打ってくれた気がして、少しだけ満たされた気持ちになりながら、俺は現から意識を手放した。
「おっさんはどうした?」
翌朝、部屋を後にした俺は、食堂に集まる仲間の中にレイヴンが居ない事を開口一番問う。だらしなく見えても俺より起床が遅いなんて、調子が悪いならいざ知らず、レイヴンに限って有り得ない。
「おっさんなら急用があるって出てったわよー」
俺の問いに、片手に本を持ちながらパンを齧るリタが答えた。
「急用……?」
「うん、戻るまでギルドの依頼を片付けててってさ」
続けてカロルが答えて、口の中に肉を放り込む。訝しげな顔を浮かべる俺に、エステルがリタのながら飯を止めながら声を掛けてくる。
「えぇっと、レイヴン、遅くならないうちに戻るとは言ってましたよ」
「ふふ、掴めない人なのはいつものことね」
「いいからユーリも食べるのじゃ」
ジュディはいつも通りに笑い、パティには山盛りに朝食がよそわれた皿を渡された。
渋々と返事をしてカロルとパティに挟まれるかたちで席に着いてはみたが、どうにも落ち着かない。とりあえず渡された皿に盛り付けられたパンを、リタ同様に片手で持って齧った。
……急用って、なんだ。
このタイミングで、なんて勝手な苛立ちをパンに向けて思い切り食い千切る。
今日が何の日か、知るわけがないのだから仕方がない。
頭では十二分にわかっているのに、心がこれまた勝手に求めてしまっていて。──レイヴンが、俺の顔を見て「お、青年。今日誕生日なんだって? おめでとさん」と言ってくれるんじゃないか、なんて。
今この時に居ないと改めて伝える事すら出来なくて、自分のガキくささに呆れつつも、焦りと苛立ちに任せてパンを全て頬張った。
「ユーリ、……行儀悪いよ」
「あ?」
パンを咀嚼して飲み込むと、カロルが困り眉で俺の方を見ていた。確かにエステルは丁寧に一口サイズに千切ってから食べているが、パンを丸かじりするくらい普通だろ、と隣に座るカロルの方へ首を捻る。
すると言いづらそうに、カロルは下へと視線を送ると小声で一言。
「……足」
言われてテーブルの下の下肢に目をやれば、タンタンタンと小刻みに床を叩いている己の足が目に入った。
「!」
ハッとして前を向けば、カロル同様に困った顔したエステルと、興味なさそうにしながらも呆れるリタと、そして一人だけ楽しそうに笑うジュディと目が合う。
「ふふ、あなたでもそんな風になるのね」
「……悪ぃ」
無意識にやるもんだとはいえ、本当に自分では気付かずに。あまりの態度と格好の悪さにバツが悪くなった。
「どうしたのよ。落ち着きないじゃない」
「…………悪ぃ」
エステルに本を没収され仕方なくフォークを使ってサラダを食しているリタに指摘され、他に返す言葉がなく同じ返事をして俯いた。
「ユーリ、進んでないのぅ。うちが食べさせてあげるのじゃ!」
手が止まってしまったうえに、何となく気まずい空気が流れる。気を利かせてか、パティがフォークに刺さった肉を顔の前に差し出してきたが、それをやんわりと断った。
むぅ、と言いながらパティはそれを自分の口へと運び、何度もよく噛んでいた。
これがレイヴンだったら、俺は有難く頂戴したことだろう。日は浅いが、俺とレイヴンは恋仲にあるのだ。そう呼べる程の事は未だ何もしていないが。
現に、誕生日だって伝えていなかったのだから。
何やら目の前でエステル達がそわそわしているのが見えて、態度のおかしい俺を気にかけているのがわかり気まずさは増すばかり。
「…………。はぁ〜〜〜」
わざとらしく、腹の底から溜まった空気を押し出すように息を吐く。隙あらばレイヴンで頭がいっぱいになる自分に、好きになったら俺はこんなになっちまうのかと自嘲した。
盛られた朝食を、空っぽの胃に突っ込む。味なんてぼんやりとしかわからない。とにかく、このままだと気が滅入るだけだったので体を動かす事に決め、早急に皿を空にした。
最後にグラスの水を一気に飲み干し、テーブルに音をたてて置く。
「……カロル先生」
「ふぇっ?! なに?!」
突然呼び掛けたとはいえ、カロルは思いの外驚く。
「討伐の依頼あったよな。それ、俺が行ってくっから」
「俺がって……え、一人で?」
「ラピード連れてきゃ文句ねえだろ」
「確かにそんな大物じゃないけど……でも」
渋るカロルにラピードを条件に上げて席を立つ。カロルはちらちらと俺と仲間とを交互に見ては唸っている。
納得してもらえなければ強引に押し切るしかないと考えていると、思わぬところから助け舟が出た。
「行かせてあげたら? 彼、体動かしたくて仕方がないみたいだし」
「ジュディス……」
「ジュディ」
今日が誕生日だとは知らないが……聡い奴だ。俺が落ち着かない理由をきっと何となくは察しているんだろう。問い詰めてもはぐらかされる事は間違いないが。
「サンキュな。じゃあちょっくら行ってくるわ」
カロルが口を開く前に、食堂に背を向け歩き出す。
「危ないと思ったら、一人で無理しちゃダメだからね!」
「はいよ」
首領の言葉を背中に受け、振り返らずにひらひらと手を振った。
呼ばずしてラピードが爪を鳴らして後ろから着いて来る。
「バウッ」
「ああ、そうだな……」
どうやらこれで、戦いに身を置いて余計な事は考えずに済みそうだ。
俺は安堵とはまた違う溜息をひとつ漏らした。
泊まっていた宿に戻る頃には、日は既に暮れていた。街に入り真っ直ぐに宿に向かうと、扉の前で座っていたカロルが立ち上がり、よく通る大きな声で俺の名を呼んだ。
「あっ! ユーリ! おかえり!」
低級とはいえ狩っても狩っても湧いて出る魔物に、なかなかどうして討伐に時間が掛かり、あちらこちら小さな傷と汚れとでパッと見酷い有り様だ。
グミのお陰で体力は余っているし、見た目程のダメージは受けていないのだが。
「おかえり! 良かった、遅いから心配したよ……ってボロボロじゃんか!」
「ただいま、カロル先生。ちゃんと頼まれてた代物は揃ったぜ」
「それはありがたいけど……あのさ、ユーリ」
皮袋が膨らむ程に詰め込んだ、魔物が落とした素材を、カロルへと渡そうと手を伸ばす。カロルはそれを受け取りながら、何故か神妙な顔をこちらへ向けてきた。
「なんだ、どうし……」
「ユーリ!」
その理由を問おうと質問を口にしたと同時に、音を立てて扉が開き、良く知る男の切羽詰まった声が夕闇に響く。声に続いて中から姿を現した男と、バッチリと目が合った。
「レイ……ヴン」
「良かった……帰ってこないかと思った……」
呆気に取られ、なすがままに抱き締められる。反射的に抱き返そうと伸びた手を、カロルがそこにいることを思い出し、慌ててレイヴンの肩へと置いた。
「おい、レイヴ……」
「ね、ユーリ。こっち来て……」
「……は」
引き剥がす前にすっと自分から離れたレイヴンが、俺の手を引いて歩き出す。温かい、愛おしい人の手を握り返そうと指先に力を込めようとするも、モヤモヤとした何かが邪魔をして上手くいかない。
さっきまでは魔物を倒すことに集中して、いかにうまく捌くか、いかにうまく躱すかで他の事など考える余裕はなかった。それがレイヴンを目の前にした今、考えないよう蓋をしていた子供じみた感情が、反動のように溢れ出して来た。
「急用とやらは終わったのかよ?」
言いたい事は、そんなことじゃないのに。
ぶっきらぼうな言葉を吐き出すと、レイヴンが急に止まり、ぶつかる手前で俺も止まる。
「……ああ、終わったよ」
そこは朝も飯を食った、宿の食堂前。正面にあるレイヴンの、高い位置で結ばれた髪が邪魔をして良く見えないが、中には他の奴らもいるようで。
「ほら。これが、俺の急用」
手は繋いだまま。レイヴンが振り返って、上目遣いにはにかんだ。
「水臭いじゃないの。黙ってるなんてさ」
卓に並ぶ料理の数々。何故かニコニコしながら座る仲間達。何が……と言おうとする俺の横を、カロルが駆け足で通り過ぎて行く。
食堂に飛び込んでカロルがこちらを向いたタイミングで、それは俺の鼓膜を揺らした。
「誕生日おめでと、ユーリ」
「……っ!」
予想外の……でもずっと待ち望んでいた言葉が聞こえて、俺は声を詰まらせる。
「おめでと! ユーリ」
「おめでとうございます、ユーリ」
レイヴンに次いでカロルが。カロルに次いでエステルが……順番に、全員から祝いの言葉が投げかけられる。パティまで終え、最後の締めにワン! と吠えたラピードも、何だか嬉しそうだった。
「……何で知ってんだよ」
目頭が熱い。抑えるように覆った手に、生温い水滴がついた。
「前に下町の爺さんが教えてくれてね。おまえさんは自分から言わないだろうから、あんた達祝ってやってくれって」
「……あのジジイ、余計な事しやがって」
「そんで皆でサプライズしようって決めてたんだけど……さ」
「あんた、おっさんが居ないって知ったらあからさまに落ち込んでるんだもんねー」
言いづらそうにするレイヴンに被せて、リタが揶揄うように言う。
「エステルがネタばらししちゃわないかハラハラしたわね」
「でも、レイヴンとの約束でしたから」
なるほどな。エステルがやたらとそわそわしていたのはそういうわけか。次から次へと込み上げてくる感情に押し出されるようにして、手をすり抜けて涙が頬を伝った。
「……そういうこと。ごめんね、喜ばせたかったんだけど……逆効果になっちゃったな」
申し訳なさそうな声音で話すレイヴンの顔が見れなくて、手をギュッと握り返した。
「……こういうのって、生きてるもんの特権、だからさ」
その手を同じ力で握り返してくるレイヴンの手が震えているのに気が付いて、この期に及んで泣き顔が見られたくないなどと子供みたいな思考を振り払って、顔から手を剥がすと、レイヴンを抱き寄せた。
「わ! ちょっ、と青年」
「悪い! 謝るのは俺の方だ。あんたに祝って欲しかったのに、意地張って言わなかった」
きっと苦しいくらい、強く抱き締める。
「……ありがとな」
「ん。どういたしまして」
レイヴンの手が、とんとんと軽く背中を叩き、優しく撫でる。胸の辺りが、何だかとても温かくなった。
「はいはい、イチャつくのは後でにしてくんない?」
「そうなのじゃ! 今日はみんなでごちそうなのじゃ」
リタの声にハッとして体を離すと、レイヴンは当たり前だが恥ずかしそうに頬を染めている。浮かれて感情のままに抱き締めちまったが、まだ俺らは公表していないのだ、二人の関係を。
この際だから言っちまうか、と覚悟を決めようとしたところで、そういえば誰も驚いていない事に気が付いた。
「ふふ、ごめんなさいね。誕生日もだけど、二人の関係も知ってるの」
「なっ……」
「嘘をつくのが下手な誰かさんのせいね」
ジュディに笑われ、俯くレイヴン。どうやら不自然なレイヴンの態度から、知らぬ間に筒抜けだったらしい。だからこそ、このサプライズに皆協力したと思えば納得なのだが。
「……ユーリの好きなもん、たくさん準備したからさ。お祝い、させてくんない?」
袖をきゅっと引いて、赤く染まる頬で尋ねるレイヴンの申し出を断る理由なんて、微塵もない。
「ああ、もちろん」
俺はその問いに、満面の笑みで答えた────。
「……そういえば、爺さん他にも色々教えてくれたわよ」
俺がここからが本番とばかりに、皿によそった食後のデザートを、端から口に放り込む様を嬉しそうに見ながら、レイヴンが思い出したように口にする。
「例えば……そうね、14歳年上の初恋の話とか」
「?! ッゲホッ、ゲホッ」
「おまえさんが元々年上好きみたいで安心したわ」
突拍子もない話に咽る俺をよそに、年の差、どうしても気になってたからさ、と申し訳なさそうにレイヴンが笑う。
俺はグラスを傾けて水を飲み、数度胸を叩いて喉に詰まりかけた果物を流し込んで返事をする。
「……それ、あんただって言ったらどうする?」
「……へ」
意地悪く問いかければ、思った通り、レイヴンの目が見開いた。
「俺の性癖を歪めたのは、最初からあんただったって話」
「……冗談でしょ?」
「さあな」
仲間達もわいわいとデザートに湧き上がる。そりゃそうだ、レイヴンの作るスイーツは世界一美味いんだからと、一人で百面相を始めたレイヴンを見ながら俺は誇らしげになる。
「ねえ、ユーリってば」
「ははっ、あんたも食えよ、めちゃくちゃ美味いぞ」
賑やかな卓を、家族のような仲間で囲み、隣には愛おしい恋人が座る。
「レイヴン、最高だわ」
ぐるりと見渡して、くしゃりと破顔させた頬を、再び雫が濡らした。
「……ん、改めて……おめでとう、ユーリ」
「ありがとな!」
今日は俺の誕生日。最高に、特別な一日。
22歳おめでとう、俺!
2022.7.30
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