これから

 楽しい時も、どこか虚ろな自分がいて。

 悲しい時も、どこか冷めた自分がいて。

 感情が、感覚が。研ぎ澄まされていなくて。


 汚れた水槽の水みたいに濁っていて、色んな感情に気付けないまま、沈んでいく。


「好きだ」


 青年の言葉が他人事のように頭を通り抜ける。

 好きという気持ちがわからない。

 真剣な顔で、何でそんな熱くなれるのかもわからない。


 どうしてこんな自分を好きになったのかが、一番、わからない。


「レイ、ヴン……?」

 無言でしゃがみ込むと不思議そうな表情をする。

 特別な感情なんてない。自分を好きだという青年を、気持ち良くしてあげられたらと。

 ズボンの前を寛げて、躊躇いなくまだ萎えた青年のそれを口に含んだ。

 自分がしてあげられることなんて、他にないから。

「おい……っ」

 制止の声が上がり髪も掴まれたが気にせず続ければ、それは硬度を増し、荒い息遣いが耳に届いた。

「随分溜まってるみたいねぇ」

「そりゃ、そうだろ……っ」

 いつも通りの皮肉めいた笑いが、交わしたい体は、あんたなんだからと訴えかけているような罪悪感。

 思いをぶつけるには勇気がいるのに、それを軽く笑ってしまう冷めた、自分。

 次々浮かぶ雑念に捕らわれながらそれでも行為を進めれば、ぶるりと震えるのと同時に強く髪を掴まれた。

「……っく」

「ん、っ……」

 ドクドクと音を発て吐き出される青年の欲を、やはり躊躇いなく全て飲み下す。

 青年の口元からは、悔しそうに歯を軋ませる音がした。

 どんな顔をしているのか、気になったが上は向かないまま声を掛ける。

「気持ちよかった?」

 余裕そうに振る舞って。でも、何故か余裕がない。今、上を向くのが、怖い。

 静止した時間が寒気を呼び、僅かに鳥肌がたつ。幾秒かして青年の低めの声がその静寂を破った。

「……やっぱ、もういいわ」

 乱れた衣服を直して、声に振り向いた俺の顔を避けるように、目線を虚空へと移した。

「やっぱりさっきの、なしな」

 視線をこちらへ向けないままそう言い放ち、立ち去ろうとする。

 怒らせてしまっただろうか。呆れさせてしまっただろうか。

 当然、失望しただろう。

 その青年の背中に向かって、消えそうな声で呟いた。

「ごめんね青年。俺には好きっていう気持ち、今はわかんないのよ」

 聞こえない。そう思って吐いた言葉なのに、青年は歩みを止めて。

「……勘違いするなよ? 今は、だからな」

「え……?」

 聞こえた返事に驚いて目を見開くと、振り返って笑う青年の顔が……視界を満たした。

「おっさんがそういう気持ちわかるようになるまでお預け。じゃないとあんた、思い詰めちまうだろ」

「!!」

 怒っているのでも、呆れているのでも、失望しているのでもなく。

 俺を待っていてくれる、それは勿体無いくらいの優しさ。

「青年……」

 自然と涙が零れた。嬉しくて、たまらなかった。

 これが『好き』という気持ちなのだろうか。わからないが、妙に苦しくて、胸を……魔導器のある場所をぎゅっと抑えた。

「焦ることねぇから」

「おっさんが気付いた時に『他の子が好きになっちゃいました~』なんてないわよね?」

「さあな」

「意地が悪いんだから」

 涙を拭って照れ隠しに笑みを浮かべれば、青年は満足げに笑って再び歩き出す。

「あ。でも俺がじーさんになる前には返答よろしく」

 ヒラヒラと手を振りながら放つ台詞に思わず吹き出してしまう。

「青年がじーさんになったらおっさんどうなっちゃうのよ」

 気付くと込み上げてくる笑み。ポカポカと変化を感じる胸に再度触れる。


 この温かくなる心が好きの前兆なら。そうでなければ、これから見つかれば。

 これから、この青年を……ユーリを好きになっていけたら。そう思う。


 小さくなった背中に、今度こそ聞こえないであろう言葉を呟く。


「その時はちゃんと俺様のこと幸せにしてちょうだいよね?」






2009.4.14