握った手の温もりを

「ありがとうおにいちゃん!」

 夕日を浴びて幻想的に光る小さな飴玉を、少女の手に乗せる。少女はまるでそれが宝石かのように、輝く玉に感嘆の声をあげた。

「どういたしまして」

 にっこりと礼儀正しくお礼を言う少女に、釣られて僕も笑顔になる。

 少しでも喜んで欲しくて、僅かな風にすら舞い上がるふわふわした髪をゆっくり撫でれば、気持ちよさそうに飴を含んだ口を柔らかく笑みの形に変えた。

「あ! あのねっ」

 撫で終わり手を下ろそうとしたら、ハッと思い付いたように手を上下に振り、何かを伝えたがる素振りを見せる。

「あたしね、おにいちゃんの手、すごくきれいで、あったかくて、だいすき!」

 少女の顔を見て会話を促すと、恥ずかしげもなく、堂々と。嬉しそうに僕の手を、小さく柔らかな両手で包んで誉める。

「え……そう、かな? そうだといいな」

 あまりに唐突で驚いた。

 自分では思ってもみないことを言われ、けれど少女の手前否定出来ずに、引きつりそうな顔の筋肉を必死に抑え、笑ってみせた。

 そんな僕の内心には気付かずに、言い終えて満足した少女はにっこりと笑い手を大きく振って駆けていく。

「おにいちゃんっ! またねっ!」

 彼女の帰る方向には、ただ一つ、小さな孤児院が見える。

「……うん、またね」

 僕は落とした腰を上げ、少女が誉めた掌をじっと眺めた。

 落ちかけた夕日が、僕の手を赤く染める。


 まるで、血に染まったかのように……


「今の、孤児院のやつか?」

 じっと、吸い込まれるくらい掌を凝視している気持ち悪い静寂を破るように、夕日と同じく……いや、夕日よりも赤い赤い髪の男が声をかけた。

「シノン……いたんだ」

「偶々通ったんだよ」

 興味が無ければそのまま通り過ぎるだろう性格の彼が、わざわざやり取りが終わるまでここにいたのは……

「慰め……なわけないよね」

 聞こえるように言うと絶対彼は怒るから、僕だけに届く小ささで呟く。

「あ?」

「ううん、何でもない」

 怒っているのかいないのか、常に皺の寄った眉間。鋭く細い眼孔が、僕を捕らえる。消えていく夕日を揺らす双眸に語りかけるかのように、僕はゆっくり話し出した。

「……あの子、僕の手が綺麗だって言うんだ。綺麗で、温かいんだって」

「……」

 反応は、ない。聞こえていなくても、聞いていなくてもいい。ただ、話して楽になりたかったんだ。

 だから僕は続けた。そのまま、同じ速度で。

「僕の手は、沢山の人達を……」

 言いかけて、躓く。

 吐き出したいのに、言葉が上手く波に乗らない。

「沢山の……いくつもの命を……」

 途切れ途切れだし、まだ話し始めたばかりなのに。

早くも込み上げて来た感情に、ぎゅっと、爪を立てて握り締めると、この手が閉じることを拒むように強い力で僕のではない別の手が重ねられる。

「え……」

 驚きに顔を伺うけど、シノンの目線は沈んだ太陽の先を見ていて。目を、合わせたくないんだなって感じ取れたから、そのまま目線を重なった手の方へと運ぶ。

「続きに、何言おうとしてんだかは知らねぇがよ」

 白く細い、それでも弓を射るために鍛えられたシノンの手が、僕の握った手を解いて、僅かに肉を抉りかけた赤く染まった爪の線を静かになぞった。

「俺は、テメェの手……キレイだと思うぜ」

「シノン……?」

「さっきのガキにとってはお前は温かい存在なんだ。多分団の奴等もそうだろうよ」

 言い方は淡々と、冷たい。けれど僕の心は、シノンが紡ぐ言葉1つ1つに温かみを感じていて。

はっきり物を言う彼の言葉だからこそ、信じられるんだと思う。

「テメェに、助けられてる奴もいんだよ」

「……ごめん」

「そもそも、んなこと考えなくていいんだよ」

 重ねていた手を離し、目線だけでなく体も反らして背を向ける。

「汚い部分はテメェの分まで俺様が背負ってやるよ」

「……!」

 落ち込む僕の為に恥を忍んで言ってくれただろう、シノンらしくない……けれどとてもシノンらしい台詞。顔を赤くして、眉間に皺寄せて舌打ちして。

 それでも気を遣ってくれるシノンの優しさが身に沁みて……泣きそうになった。

「ふふっ、シノンそれ、まるで告白みたいだね」

「バッ……はぁ?! 誰がンなこと」

「ありがとう」

 指で溢れそうな雫を拭って、笑った。

「……ちっ」

 笑ったら止まらなくて、お腹を抱えて暫く笑い続けた。

 僕の横では、笑えば笑う程顔を赤くする彼がいて。

「あははっ……ごめんねシノン……、嬉しくてつい」

 告げて落ち着きを取り戻した僕は、再び自分の手を眺める。

 爪の痕は未だ色濃く残っているけれど、単純なもので、今は先刻のような感情は湧いて来ない。

「ねぇ。僕も、シノンのこと好きだよ」

「はぁ? 意味わかんねえよ」

 代わりに湧くのは愛しい気持ち。ぶつけてみれば予想通りの呆れた顔。

「僕たち両思いだね」

「言ってろ」

 でも怒ることはなく。

「ふふ、……そろそろ、帰ろうか」

 無愛想な彼なりに微笑んでくれたりして。

「手繋ぐ?」

「わけねぇだろ」

 言いながら僕が掴んだ手を振り払わないものだからつい笑ってしまう。握り返してはくれないけれど、ぎゅっと力を入れた僕の手を、その手の熱を、受け止めてくれるシノンの手。


 願わくば、

 この手のひらの温もりを、

 失わないように。


 僕の手で、

 ずっと、

 守っていけますように。




 ────神の御加護を────